横浜地方裁判所 平成7年(ワ)4636号 判決 1999年7月30日
原告
室谷彰
同
室谷泰子
右両名訴訟代理人弁護士
庭山正一郎
同
田村恵子
同
上床竜司
被告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
大内猛彦
同
瀧澤秀俊
主文
一 被告は原告らに対し、それぞれ金三一二三万五〇〇〇円及びこれに対する平成七年三月一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決の第一項は仮に執行することができる。
第一 原告らの請求
被告は原告らに対し、それぞれ金八〇〇七万〇〇九一円(合計金一億六〇一四万〇一八二円)及びこれに対する平成七年三月一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、神奈川県大和市において桜ヶ丘中央病院を開設している被告が立教大学三年に在籍していた室谷友紀(以下「亡友紀」という。)の入院治療を行ったものの亡友紀が結核性髄膜炎により死亡したため、亡友紀の両親である原告らが、亡友紀の死亡は被告の診療上の過失に起因するものであるとして損害賠償を求めた事案である。
第三 当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、神奈川県大和市において桜ヶ丘中央病院(以下「被告病院」という。)を開設し、医業を営んでいる医師である。
2(亡友紀の死亡に至る経緯)
(一) 亡友紀は、平成七年一月二五日に発熱し、頭痛を感じたため、被告病院において診察を受けたが、被告は、風邪であると診断し、亡友紀に対し解熱鎮痛剤を処方した。原告室谷泰子(以下「原告泰子」という。)は、同年一月二八日、被告病院に行き、亡友紀の頭痛が治まらないことを報告したが、被告は薬を飲んでいれば大丈夫であると回答した。亡友紀は、同年一月三一日、激しい頭痛を訴え、吐き気を催すようになり、同年二月一日、三九度前後の発熱があった。
(二) 亡友紀は、同年二月二日、高熱・吐き気・頭痛を訴え、救急車で被告病院に搬送され、体温は37.5度と高めで、独力で服を着替えることができない状態であり、看護婦の質問に対してもまともに答えられないほどの意識障害の症状が認められ、そのまま入院した。被告は、その際、腰椎穿刺による髄液検査を実施しようと考えたが、腰椎穿刺による髄液検査を実施しなかった。亡友紀は、入院後も三八度から三九度程度の高熱が続き、吐き気・頭痛も継続し、看護婦や家族が話しかけてもボーッとして反応がなかったり、落ち着きがなく、しきりに腕を動かすので点滴がはずれてしまうこともしばしばあった。
(三) 被告は、同年二月六日、亡友紀に対し、腰椎穿刺による髄液検査を行ったが、その結果は、髄液圧の上昇・髄液中の細胞数の増加・単核球の優位・蛋白量の増加・糖量及びクロール量の減少であり、また、亡友紀の左目が寄り目気味になり視点が合わないなどの症状が見られた。そして、被告は、同年二月七日、亡友紀に対し、再度、髄液検査を行ったが、その結果は前回と同様、髄液圧の上昇・髄液中の細胞数の増加・単核球の優位・蛋白量の増加・糖量及びクロール量の減少であった。
(四) その後、同年二月一四日までに、亡友紀には、頭痛・発熱・倦怠感・顔面紅潮・悪寒などの症状や、注意力散漫で応答・行動が緩慢であるなど意識障害を推認させる症状が見られた。
(五) 亡友紀は、同年二月一五日午後五時三〇分ころ、突然全身をけいれんさせ、眼球が上転したままになったため、人工呼吸等の救急措置及び抗けいれん剤であるセルシンの投与等が行われた。被告は、このころ、抗ウイルス剤であるアラセナAを投与した。同年二月一六日、亡友紀は一度は自発呼吸ができるようになり、全身状態が改善しつつあったため、被告は、気管内挿管用チューブを抜管し、同日午後零時ころ、腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを開始した。
(六) 腰椎穿刺による髄液持続ドレナージの開始後しばらくは、亡友紀の容態は大きく悪化することはなかったが、亡友紀は、同年二月一七日午前六時三〇分ころ、呼吸困難になり、チアノーゼを呈し、心拍数が三〇になるなど亡友紀の全身状態は急激に大きく悪化し、そのまま昏睡状態に陥った。被告は、同日より、抗結核剤の投与を開始し、亡友紀の体温は上がっていなかった。
(七) 亡友紀は、同年二月二四日、東海大学病院に転院したが、意識は回復せず、同年二月二八日午後一一時三〇分ころ、同病院において死亡した。
3(亡友紀の死因)
亡友紀の前記各症状は、亡友紀が結核性髄膜炎に罹患していたことによるものであるが、亡友紀は、同年二月一六日午後零時ころは脳浮腫・非交通性水頭症により著しい頭蓋内圧亢進の状態になっていたところ、被告がそのころから腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを施行したため、大後頭孔ヘルニアを惹起して呼吸中枢である延髄を圧迫された結果、呼吸困難に陥り、そのまま回復せず死亡するに至ったものである。
4(被告の過失)
(一) 髄液持続ドレナージを行った過失
被告は、同年二月一四日の髄液検査の結果から亡友紀の頭蓋内圧が著しく亢進していたことを十分に認識し、また同年二月一三日の時点で同人が脳浮腫になっていたことも認識しており、更に同年二月一五日の頭部CT写真から同人の脳室が拡大していて非交通性水頭症になっていたことを容易に認識し得たのであるから、同年二月一六日午後零時ころの時点では、頭蓋内圧亢進の治療として腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを施行すれば大後頭孔ヘルニアを惹起する可能性が極めて高いのでこれを施行してはならない義務があるのに、これを怠り、同日午後零時ころから同年二月一八日午前八時ころまで漫然と腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを行った過失がある。
(二) 結核性髄膜炎の診断・治療が遅れた過失
仮に右(一)の過失が認められないとしても、被告には、同年二月二日の時点で検査・治療開始を怠った過失、又は、同年二月七日の時点で治療開始を怠った過失がある。すなわち、亡友紀において同年一月二五日から頭痛・発熱の症状がみられ解熱剤などを投与しても治らなかったこと、同年一月三一日には吐き気を催すようになったこと、同年二月二日には独力で起きあがれないほどの脱力感がみられ意識障害が認められたこと等前記の経過に照らせば、被告には、同年二月二日の時点で、亡友紀が髄膜炎に罹患していることを疑い、亡友紀に対し直ちに腰椎穿刺による髄液検査を行う義務があるのにこれを怠り、右髄液検査をせずひいては結核性髄膜炎の治療を開始しなかった過失がある。
また、同年二月六日及び同年二月七日に行った各髄液検査において、髄液圧の上昇・髄液中の細胞数の増加・単核球の優位・蛋白量の増加・糖量及びクロール量の減少といった結核性髄膜炎を疑うべき結果が得られたこと、発熱の継続等前記の経過に照らせば、被告は同年二月七日の時点で亡友紀に対し結核性髄膜炎の可能性を考慮しつつ髄膜炎の治療を開始すべき義務があったのにこれを怠り、髄膜炎の治療を開始しなかった過失がある。
5(損害)
(一) 亡友紀の損害
(1) 逸失利益
亡友紀は、死亡当時二一歳の男子で二二歳から六七歳までの四五年間就労可能であり、平成六年賃金センサスの旧大・新大卒男子労働者平均賃金を用い中間利息を控除してその逸失利益を計算すると、以下のとおり、金七九八七万四三六八円となる。
6,740,800×(1−0.3)×(17.88−0.9523)=79,874,368
(2) 入院慰謝料
亡友紀は適切な救急措置をとることができることを前提に救急病院に指定された被告病院に搬送されたあげく、入院後重篤な状態に至るまで患者として当然期待できる適切な治療を受けられず、場当たり的な対症療法に終始されるなど粗雑・杜撰で不誠実な治療及び対応しか受けることができず、同人が入院中に受けた精神的苦痛は通常の入院より相当に重いから、入院慰謝料の額としては金三〇〇万円が相当である。
(3) 死亡慰謝料
亡友紀は健康に生活していた男子で、本件医療事故に遭遇しなければ前途洋々たる将来が約束されていたのであり、死亡慰謝料の額としては金三〇〇〇万円が相当である。
(4) 相続
亡友紀は、前記のとおり平成七年二月二八日死亡し、原告彰はその父、原告泰子はその母であった。
(二) 原告ら固有の損害
(1) 慰謝料
原告らは、最愛の息子を失った上、亡友紀が苦しんでいたのに十分そばに居てやれなかったことや早期に亡友紀を転院させれば良かったのではないかなどの後悔の念に苛まれているのであり、かかる原告らの精神的苦痛を慰謝するにはそれぞれ金一五〇〇万円を下らない慰謝料が必要である。
(2) 葬儀費用
原告らは亡友紀の葬儀費用としてそれぞれ金七五万円を支出し、同額の損害を受けた。
(3) 弁護士費用
原告らは本件の証拠保全の申立て及び本訴の提起・追行を原告代理人に委任し、右委任の報酬は日弁連報酬等基準規定に従って算定すれば合計金一五七六万五八一六円を下らない。
6(まとめ)
よって、原告らは被告に対し、不法行為または診療契約の債務不履行に基づき、それぞれ損害賠償金八〇〇七万〇〇九一円(合計金一億六〇一四万〇一八二円)及びこれに対する損害発生の翌日である平成七年三月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否と被告の主張
1 認否
(一) 請求原因1の事実は認める。
(二) 同2(一)の事実のうち、亡友紀が平成七年一月二五日に被告病院において診察を受けたこと、被告が亡友紀に対し解熱鎮痛剤を処方したこと、原告泰子が同年一月二八日、被告病院に行き、亡友紀の頭痛が治まらないことを報告したことは認め、亡友紀が同年一月三一日に激しい頭痛を訴え、吐き気を催すようになり、同年二月一日、三九度前後の発熱があったことは不知、その余は否認する。
(三) 同2(二)の事実のうち、亡友紀が同年二月二日に高熱・吐き気・頭痛を訴え、救急車で被告病院に搬送され、体温は37.5度と高めで、そのまま入院したこと、被告が腰椎穿刺による髄液検査を実施しようと考えたが、腰椎穿刺による髄液検査を実施しなかったこと、亡友紀は、入院後も三八度から三九度程度の高熱が続いたことは認め、その余は否認する。
(四) 同2(三)の事実のうち、被告が同年二月六日に亡友紀に対し腰椎穿刺による髄液検査を行ったこと、その結果が髄液圧の上昇、髄液中の細胞数の増加、単核球の優位、蛋白量の増加、糖量の減少であったこと、被告が同年二月七日に亡友紀に対し再度髄液検査を行ったこと、その結果が髄液圧の上昇、髄液中の細胞数の増加、単核球の優位、蛋白量の増加、糖量の減少であったことは認め、その余は否認する。
(五) 同2(四)の事実は否認する。
(六) 同2(五)の事実のうち、亡友紀が同年二月一五日午後五時三〇分ころに突然全身をけいれんさせ、眼球が上転したままになったため、人工呼吸等の救急措置が行われたこと、被告がこのころ抗ウイルス剤であるアラセナAを投与したこと、同年二月一六日に亡友紀は一度は自発呼吸ができるようになり、全身状態が改善しつつあったこと、被告は、気管内挿管用チューブを抜管し、同日午後零時ころ、腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを開始したこと、この時点で、亡友紀が脳炎の併発をしていたことは認め、その余は否認する。
(七) 同2(六)の事実のうち、腰椎穿刺による髄液持続ドレナージの開始後しばらくは亡友紀の容態は大きく悪化することはなかったこと、亡友紀が同年二月一七日午前六時三〇分ころに呼吸困難になり、チアノーゼを呈し、心拍数が三〇になったこと、そのまま昏睡状態に陥ったこと、被告が同日より抗結核剤の投与を開始したことは認め、その余は否認する。
(八) 同2(七)の事実のうち、亡友紀が同年二月二四日に東海大学病院に転院したが意識は回復せず同年二月二八日午後一一時三〇分ころ死亡したことは認める。
(九) 同3の事実のうち、亡友紀が結核性髄膜炎に罹患していたことは認めるが、非交通性水頭症であったこと及び大後頭孔ヘルニアにより死亡したことは否認する。平成七年二月一六日午前一〇時から同年二月一七日午前六時までの間に総量三〇〇〇ミリリットルという多量の排尿をしているから、脳浮腫、脳圧亢進が著しいということはあり得ない。
亡友紀の脳室拡大は交通性水頭症によるものであり、また同人に大後頭孔ヘルニアは生じていない。
(一〇) 同4(一)の事実のうち、被告が同年二月一六日午後零時ころに亡友紀に対し腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを行ったことは認め、その余は否認する。
(一一) 同4(二)の事実のうち、被告が同年二月二日に腰椎穿刺による髄液検査をしなかったこと及び被告が同年二月七日に結核性髄膜炎に特定した治療を開始しなかったことは認め、その余は否認する。
(一二) 同5(一)(4)の事実は認め、その余は争う。
2 被告の主張
被告が亡友紀の入院を受け入れてからの経緯と同人の死因及び被告には不法行為ないし債務不履行としての過失がないことは、次に述べるとおりである。
(一) 入院受け入れ後の経緯
(1) 平成七年二月二日の来診時及び入院後の夜間診察時の所見でも、亡友紀の会話・反応に異常はなく、ストレッチャーからベットへの移動などの看護婦の指示にも直ちに従った行動をとっており、意識障害は認められなかった。これに対し被告は補液と抗生物質及び鎮静剤の投与をした。そして、頭部CT検査を実施したが、異常が認められず、項部硬直等の髄膜刺激症状も認められなかった。また、入院後の亡友紀の症状は軽快しており(同年二月三日はテレビを見たり、自動販売機でジュースを買うなどの行動をとっている。そして、同年二月六日午前中無断で駅前のコンビニエンスストアまで買物のために外出したので、被告病院の看護婦が外出禁止を告げた。そのため、同日は自動販売機でジュースを買ったりロビーで過ごすなどしていた。)、髄膜刺激症状の所見も認められなかった。そして、被告は、同年二月四日には脳圧降下剤であるグリセオールの使用を開始した。
(2) 同年二月七日の髄液検査の結果は同年二月六日の結果とは異なる。すなわち、髄液圧の低下(四五〇ミリメートル水柱から二四五ミリメートル水柱)、髄液中の細胞数の減少(一〇五五/三から五三〇/三)、単核球優位の低下(九対一から1.9対一)が認められるなどの顕著な改善が見られ、特に単核球優位の低下は化膿性髄膜炎の髄液所見の特徴を示すようになったことを意味している。また、同日における結核菌の塗沫検査では陰性、一般細菌培養でも陰性であった。項部硬直等の髄膜刺激症状も脳神経症状も認められなかった。さらに、眼科における検査でも眼球運動、瞳孔反応に異常がなく、眼瞼下垂、瞳孔左右不同なども認められなかった。同年二月七日も、亡友紀はロビーで過ごすなどしており、意識障害も認められなかった。
(3) 同年二月八日、亡友紀は食事を全量摂取したものの、発熱がありボーッとしている感じがあった。同年二月九日、亡友紀の頭痛は少しずつ軽快し、会話もスムーズであった。夕食は二分の一を摂取し、差入れのゼリーなども食べた。ロビーで喫煙していたため、看護婦から注意されることもあった。同年二月一〇日、熱感、顔面紅潮があるもの、頭痛はなかった。亡友紀はこの日もロビーで過ごしていたため、看護婦から安静を促されている。同年二月一一日、気分不快はないが、熱感を訴え、倦怠感がある。昼食、夕食ともに二分の一を摂取した。夜間、ロビーで喫煙していたため、看護婦から注意された。被告は、細菌性疾患を念頭に置いて抗生物質であるケイテンの投与を開始した。同年二月一二日及び一三日、熱感、倦怠感あるも、頭痛はない。同年二月一三日には、ベットでタバコを吸っていたため、看護婦が注意する。被告は、病室内の喫煙防止・安静保持・継続点滴の監視のため、亡友紀をナースステーションに近い四〇九号室に移動させた。被告は、免疫を高めるため、γ―グロブリンの投与を開始した。抗核抗体検査を実施したが、後日正常であることが判明した。同年二月一四日、悪寒・頭痛はないが、歩行にふらつきがあり、見当識障害が見られた。昼食は全量摂取した。三回目の髄液検査を実施したところ、右結果は、髄液圧四七五ミリメートル水柱、細胞数増多、単核球優位なし、蛋白増多、糖量増多であり、また、結核菌塗沫検査は陰性、ツベルクリン反応も陰性であった。被告は脳圧降下剤であるグリセオールを増量して投与した。
(4) 被告は、同年二月一五日に頭部CT検査を行い、抗ウイルス剤とともに脳圧降下剤(デカドロン、ソルコーテフ)を投与した。同年二月一六日に四回目の髄液検査を実施したところ、右結果は、細胞数増多、単核球優位なし、蛋白増多、糖量減少であり、一般細菌培養は陰性であった。被告は、脳圧降下剤であるマンニゲンを点滴静注し、化膿性髄膜炎を念頭において、抗細菌剤であるアミカマイシンの髄腔内投与をした。
同年二月一七日に五回目の髄液検査を実施したところ、右結果は、細胞数減少、単核球優位なし、蛋白増多、糖量増多であった。
(二) 亡友紀の死因
被告が平成七年二月一六日に腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを行うに至った亡友紀の脳室拡大は、交通性水頭症によるものである。すなわち、
① 結核性髄膜炎では脳底槽の髄液通過障害による交通性水頭症が高率でみられ、亡友紀の結核性髄膜炎は前頭葉及び頭蓋底に著明である。
② 同年二月一五日のCTスキャンによれば、第三脳室、第四脳室にも拡大が認められるものの側脳室の拡大が著明であり、亡友紀が非交通性水頭症であるとすると右所見を合理的に説明できず、右所見は交通性水頭症に合致する。
③ 腰椎穿刺による髄液持続ドレナージによる髄液の排出が同年二月一六日午後零時から同年二月一七日午前六時まで二二〇ミリリットルに及んでいるところ、くも膜下腔から大槽の容積が二五ないし三〇ミリリットル、脊髄くも膜下腔の容積は七五ないし八〇ミリリットルであることに照らすと、脳室で産生された髄液が支障なく腰椎まで流れている。
④ 亡友紀に脳室系の通過障害があるのであれば、本件腰椎穿刺の際の初圧が四五〇ミリメートル水柱と高く、髄液採取後の終圧も二二〇ミリメートル水柱とその低下が少ないといったことはあり得ない。
⑤ 腰椎穿刺による髄液持続ドレナージの開始後、亡友紀の症状が改善され、右は頭蓋内圧が降下したことを示しているところ、脳室系の通過障害があれば、右持続ドレナージによって頭蓋内圧は降下しない。
また、亡友紀において大後頭孔ヘルニアは生じていない。すなわち、
① 前記のとおり、亡友紀の水頭症は交通性水頭症である。
② 術後・経過観察表によれば、同年二月一七日午前六時三〇分ころに大後頭孔ヘルニア特有の所見(チェーンストーク呼吸、血圧上昇、徐脈など)は認められない。
③ 死亡診断書(甲二)には「頭部CT上脳ヘルニアの状態であった」との記載があるが、病理解剖所見においては、その経過から脳ヘルニアを起こしたものと推測しているにとどまり、CT等で脳ヘルニアが確認されていない。
そして、同年二月一七日午前六時三〇分ころに亡友紀の全身状態は悪化しているが、治療に抗した結核性髄膜炎の進行による舌根沈下がその原因である。
(三) 被告が亡友紀に対し腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを行ったことにつき過失がないこと
亡友紀の頭蓋内圧亢進の治療方法としては脳室ドレナージと腰椎穿刺による髄液持続ドレナージが考えられるが、平成七年二月一六日午後零時の時点で、脳室ドレナージは頭部皮膚及び頭蓋骨からの出血の他、脳表・脳実質内の血管損傷や感染などを併発する可能性があったため、これを実施するには手術室まで搬送しなければならなかった。しかし、亡友紀の呼吸・循環状態が極めて不安定で危険な状態が依然継続していたので、被告は、このような状態の友紀を手術室まで運び、手術を実施することはかえって危険であると判断し、病室内で比較的容易に実施できる腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを選択し実施したものである。そして、右実施の際には急激な頭蓋内圧の低下を避けるべく、①側臥位のまま行うこと、②サイフォン方式として自然の流出とすること、③ドレナージ管の高さを外耳孔の高さよりも一〇センチメートル高い位置に維持し、髄液の流出量を慎重に観察しながら、ドレナージ管の高さを変え、流出量を調整すること、④髄液流出量の目標は二時間当たり最大四〇ミリリットル程度にとどめ、一日二〇〇ミリリットルとすることといった点に留意した。このように、被告は亡友紀の病体の変化を勘案しながら、細心の注意を払いつつ、髄液持続ドレナージの実施を選択し、実施しており、そこに何らの落ち度もない。
(四) 被告が平成七年二月二日及び同年二月七日の時点で結核性髄膜炎と診断しなかったことにつき過失がないこと
髄膜炎を疑う最も重要な根拠である発熱の継続という点では、本件の場合、入院まで発熱が継続したという記録がない。そして、意識障害や項部硬直などの髄膜炎に典型的な諸所見が全く認められない状況で、インフルエンザの大流行の中において、入院させて経過観察しようとした被告の同年二月二日の時点における判断は、臨床医学の理に適った合理的なもので、そこに何らの落ち度もない。
また、亡友紀の症状が当時喫煙や無断外出をするなど軽快している上、項部硬直などの典型的な髄膜刺激徴候所見、意識障害がなく、眼科検診でも異常が全く認められないというように、急迫性、重篤性が全く認められない一方、被告の対症療法によって一定の治療効果が認められる状況において、被告が対症療法を実施しながら、順次鑑別と治療を進めていこうと判断したことは、臨床医学の理に適った合理的なもので、そこに何らの落ち度もない。
第三 証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
一 亡友紀が死亡するに至る経緯
証拠(甲一ないし三、八、一六、一七、二九ないし三一、乙一ないし六、九、一〇、一七、一八、証人灰田宗孝、原告泰子本人、被告本人第一、二回)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。
1 亡友紀は、昭和四八年八月一三日生れであり、平成七年二月当時、立教大学に三年生として在籍する男子で、原告らは亡友紀の両親である。一方、被告は、神奈川県大和市において被告病院を開設し、医業を営んでいる医師である。そして、同年一月ないし二月ころは、神奈川県内においてインフルエンザが大流行していた。
2 亡友紀は、平成七年一月二五日、被告病院に外来し、発熱、頭痛を訴えて診察を受け、被告は急性上気道炎及び頭痛と診断し、鎮痛解熱剤を処方し、経過観察としていた。このときには、亡友紀は意識清明で、髄膜刺激徴候(項部硬直、ケルニッヒ徴候)、脳神経症状(動眼神経、顔面神経麻痺等)も認められなかった。亡友紀が被告から処方された薬を服用したところ、亡友紀の発熱及び頭痛は徐々に治まったが、被告から処方された薬を服用しなければ、亡友紀の頭痛が治まらないので、原告泰子は、同年一月二八日、被告に対し、亡友紀の頭痛が治らない旨報告した。これに対し、被告は処方した薬を服用するように指示した。
同年一月二九日、亡友紀の体温が上昇したので、亡友紀は、大和市立病院で診察を受け、インフルエンザと診断され、解熱鎮痛剤を処方された。大和市立病院から処方された薬の効果は乏しかったので、亡友紀は、翌日、再度、大和市立病院で診察を受け、別の種類の解熱鎮痛剤を処方され、これを服用したところ、深夜まで試験勉強ができる程度にまで、亡友紀の発熱、頭痛は治まった。
3 亡友紀は、同年二月二日、救急車で被告病院に搬入され、発熱等による脱力感を訴えたので、被告は同人を入院させることにし、補液を指示し、抗生物質と鎮痛解熱剤を投与した。被告は同人に頭部CT検査を実施したが、脳室の拡大等の異常は認められず、髄膜刺激徴候も認められなかった。腰椎穿刺による髄液検査の実施も検討したが実施しなかった。この時点の亡友紀の意識状態は、軽度の障害が認められたものの、発熱・脱力感及び倦怠感に伴う意識の障害と区別することのできない程度のものにすぎなかった。その後二、三日間の亡友紀の意識状態も清明で、障害は認められなかった。
4 亡友紀は、同年二月六日午前九時ころ被告に無断で外出したことがあるが、発熱は同年二月六日に至るも治まらず(頭痛も軽度ながら継続していた。)、被告は亡友紀に対し、再度頭部CT検査を行い、それに加えて腰椎穿刺による髄液検査を実施した。頭部CT検査において明確な異常は認められなかったが、右髄液検査の結果は、髄液圧が四五〇ミリメートル水柱と亢進し、髄液細胞数が一〇五五/三と増多であって(単核球と多核球の比が九対一と単核球優位)、糖減少等が認められた。
被告は、同年二月七日、亡友紀に対し、再度腰椎穿刺による髄液検査を実施した。右髄液検査の結果は、髄液圧が二四五ミリメートル水柱と亢進し、髄液細胞数が五三〇/三と多く(単核球と多核球の比が1.9対一と単核球優位)、糖減少等が認められた。そして、髄液につき結核菌の塗沫検査を実施したが、陰性の結果が得られた。被告は亡友紀の疾患がいかなるものか確定診断できないと判断し、化膿性髄膜炎、結核性髄膜炎、ウイルス性髄膜炎、インフルエンザ等その他感染症を念頭におき、経過観察とした。この間亡友紀は、同年二月九日夕方被告病院のロビーで喫煙した。
5 亡友紀の発熱が同年二月一一日に至るも継続していた(頭痛も軽度ながら継続していた。)ため、被告は、抗生物質であるケイテンの投与を開始した。
同年二月一二日ころから亡友紀の頭痛や吐き気などの訴えはなくなったものの、亡友紀において、倦怠感が強くなり、同年二月一三日には傾眠がちで、排尿時、歩行時のふらつき、見当識障害が認められた。そして、被告は、同日γ―グロブリンの投与を開始し、同年二月一四日、亡友紀に対し第三回目の髄液検査を実施した。右髄液検査の結果は髄液圧が四七五ミリメートル水柱と亢進し、髄液細胞数が増多し、単核球優位はなく、蛋白増多、糖量増多が認められた。これに対し、被告は頭蓋内圧降下剤であるグリセオールを増量して投与した。
6 被告は、同年二月一五日朝、亡友紀に対し、頭部CT検査を実施したが、側脳室、第三脳室、第四脳室の顕著な拡大が認められた(この点、被告は、被告本人尋問(第二回)において、甲一五の頭部CT写真と甲二四の記載と比較して右拡大が軽度なものである旨供述するが、甲二四の頭部CT画像が亡友紀のものでなく乳幼児のものであることや亡友紀が二一歳の男子であることに照らすと、これらを単純に比較することは相当でなく、右供述は採用できない。)。
亡友紀は、同日午後五時三〇分ころ、全身けいれん、意識消失、呼吸不全を起こした。被告は、全身冷却、人工呼吸(気管内挿管)等の救急措置及び抗けいれん剤であるセルシンの投与を行い、従前より使用していた頭蓋内圧降下剤であるグリセオールに加え、頭蓋内圧降下剤(デカドロン、ソルコーテフ)、抗ウイルス剤(アラセナA)の使用を開始した。亡友紀は、同日午後一一時五〇分ころ、けいれん発作を起こした。
7 同年二月一六日朝方、亡友紀に自発呼吸が認められ、けいれんも収まり、意識も回復した。被告は、同日午前一〇時二〇分ころ、亡友紀の気管内挿管を抜管した。右時点の亡友紀の意識状態は傾眠状態で簡単な指示には従う程度であった。被告は、頭蓋内圧亢進の治療目的で髄液を排除するため、髄液の排出の速さを二時間当たり四〇ミリリットル以内、一日二〇〇ミリリットル以内とすると判断した上で、排出口を五センチの高さとして同日午後零時ころから腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを始めた(被告は右排出口の高さを一〇センチに維持した旨主張し、乙一〇にこれに沿う記載があるが、術后・経過表(甲一六、乙五)の二月一六日二〇時の欄に排出口の高さを九センチに固定した旨、右の際に二時間五〇ミリリットルの髄液の排出があった旨の記載があることから、乙一〇の右記載は採用できない。)。
そして被告は、亡友紀に対し第四回目の髄液検査を実施したが、右髄液検査の結果として髄液細胞数が増多し、単核球優位はなく、蛋白増多、糖量減少との検査所見が認められた。これに対し、被告は頭蓋内圧降下剤であるマンニゲンを点滴静注し、同日午後三時五〇分ころ抗細菌剤であるアミカマイシンを髄腔内に投与した。
被告は、前記髄液持続ドレナージにより同日午後零時ころから同年二月一七日午前二時ころまでに髄液一七〇ミリリットル、同日午前二時ころから同日午前六時三〇分ころまでに髄液五〇ミリリットルを排出させ、排出口の高さを同年二月一六日午後八時ころ九センチに固定し、同年二月一七日午前四時ころ九センチから一一センチに二センチ高くした。
8 同年二月一七日午前六時三〇分ころ、亡友紀の呼吸状態、全身状態が急激に悪化した。そこで、被告は、同日午前六時三五分、亡友紀に対し気管内挿管し、心臓マッサージを行った。なお、被告は、同年二月一八日午前八時ころまで亡友紀に対し腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを継続したが、同年二月一七日午前六時三五分ころから同日午後零時まで髄液の排出はなかった。被告は、同年二月一七日、亡友紀に対し第五回目の髄液検査を実施したが、右髄液検査の結果は、髄液細胞数は減少して、単核球優位はなく、蛋白増多、糖量増多が認められた。これに対し、被告はγ―グロブリン、抗ウイルス剤、抗生物質の投与を継続した上、抗結核剤であるINAH等の投与を開始した。
9 亡友紀は、同年二月一八日以降、その発熱は治まり始めたが、血圧は低下し、昏睡状態となって、中枢性尿崩症を併発し、結局、脳死状態となり、同年二月二四日、東海大学病院に転院し、同年二月二八日午後一一時三〇分ころ死亡した。東海大学病院で行われた病理解剖の結果、亡友紀にヒト型結核菌が検出され、特に前頭葉、頭蓋底に認められたが、亡友紀の脳は解剖時に既に融解していたため、解剖所見によっても、亡友紀の水頭症が交通性水頭症であったのか非交通性水頭症であったのか、大後頭孔ヘルニアが生じていたのかは、いずれも明らかとされなかった。
二 亡友紀の死因
亡友紀の死因につき、原告らは、平成七年二月一七日午前六時三〇分ころの亡友紀の全身状態の急激な悪化は大後頭孔ヘルニアによるものとし、他方被告は、同日午前六時三〇分ころの亡友紀の呼吸状態、全身状態の急激な悪化は結核性髄膜炎の進行による舌根沈下が原因であって、大後頭孔ヘルニアは生じていない旨主張する。
よって、検討するに、患者が脳浮腫を起こしているなど頭蓋内圧が亢進している場合には大後頭孔ヘルニアを起こしやすいところ(甲一八ないし二一、二四、二九)、亡友紀は脳浮腫を起こし、頭蓋内圧が亢進している(甲一五、一六、乙二、四、一〇。なお被告は、平成七年二月一六日午前一〇時から同年二月一七日午前六時までの間の総量三〇〇〇ミリリットルの排尿を指摘し、そのころは亡友紀の脳浮腫・脳圧亢進が著しいということはあり得ないと主張するが、甲一六、乙五により右排尿の事実は認められるものの、多量の排尿によって脳浮腫、脳圧亢進が緩和するとの点について証拠はなく、被告の右主張は採用できない。)。そして、腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを行っている際に髄液の排出が突然止まったときには大後頭孔ヘルニアを起こしている蓋然性が高いところ(甲一四、三〇)、同年二月一六日午後零時ころから始めた腰椎穿刺による髄液持続ドレナージにより同年二月一七日午前二時までに髄液一七〇ミリリットル、同日午前二時から同日午前六時三〇分ころまでに髄液五〇ミリリットルを排出させていたのに、呼吸状態、全身状態が急激に大きく悪化した同日午前六時三〇分ころから同日午後零時まで髄液の排出がない(前記一8)。また、原資料である頭部CT写真が証拠として提出されていないものの、死亡診断書(甲二)の「初診時の症状」欄に頭部CT上脳ヘルニアの状態であった旨の記載がある。そして、同年二月一七日には抗結核剤の投与が既に開始され、亡友紀の発熱は治まり始めており、結核性髄膜炎については何らかの治療効果が現れているのに、亡友紀の症状はほとんど改善していない(前記一9)。したがって、他に亡友紀の呼吸状態・全身状態が急激に悪化する原因が認められない限り、同日午前六時三〇分ころの亡友紀の全身状態の急激な悪化は大後頭孔ヘルニアにより生じたものと認めるのが相当である。
これに対し、被告は、同日午前六時三〇分ころの亡友紀の呼吸状態・全身状態の急激な悪化は結核性髄膜炎の進行による舌根沈下が原因であって大後頭孔ヘルニアは生じていないとし、その根拠として、診療録等(甲一六、乙一ないし五)には大後頭孔ヘルニアの特徴であるチェーンストーク呼吸の症状所見の記載がないし、被告本人尋問(第二回)において、被告も右所見がなかった旨供述する。しかし、チェーンストーク呼吸の症状所見が大後頭孔ヘルニアであれば必ず生じるものと限らない(甲三〇、乙一六)上、前記一8認定のとおり、亡友紀に対し同日午前六時三五分以降において気管内挿管をしていることから、仮にチェーンストーク呼吸の症状所見が認められないとしても、直ちに大後頭孔ヘルニアが生じなかったということはできない。そして、仮に亡友紀の全身状態の悪化の原因が、大後頭孔ヘルニアではなく、結核性髄膜炎の進行による舌根沈下であるとすると、右の際に結核性髄膜炎の進行による舌根沈下に対する対症療法である気管内挿管を行い同日には抗結核剤の投与を開始しているのに亡友紀の意識状態の回復が全く認められないこと(亡友紀は同年二月一五日午後五時三〇分ころに全身けいれんを起こした後、気管内挿管、抗けいれん剤の投与等の対処により、翌日には自発呼吸も戻り、けいれんも収まって全身状態が改善していた。)を合理的に説明することが困難である。したがって、大後頭孔ヘルニアの他に同日午前六時三〇分ころの亡友紀の全身状態の急激な悪化の原因となる事情が見当たらない本件にあっては、先に述べたとおり、亡友紀の全身状態の悪化が大後頭孔ヘルニアにより生じたものと認めるのが相当である。
三 被告の過失の有無
1 原告らは、まず、被告が亡友紀に対し髄液持続ドレナージを行ったことが過失である旨主張する(請求原因4(一))ので、その当否について判断する。
(一) 原告らは、その立論の根拠として、亡友紀が死亡直前に罹患していた水頭症が非交通性水頭症であった旨主張し、これに対し被告は交通性水頭症であった旨主張する。
よって検討するに、前記一9認定のとおり、解剖所見によっても、亡友紀の水頭症が交通性水頭症か、非交通性水頭症かは明らかとされなかった。そして、亡友紀が罹患していた結核性髄膜炎の場合、証拠(甲四、五、七、二二、二四、乙一八)によれば、炎症がくも膜下腔に広がって癒着をきたし、くも膜下腔、脳底槽の閉塞、くも膜顆粒での髄液交通路の閉塞等の脳室外の通過障害を起こして交通性水頭症となることがあるが、亡友紀の髄膜炎が結核性髄膜炎であって、結核菌が頭蓋底で検出されたこと(前記一9)から、亡友紀の水頭症が非交通性水頭症ではなく交通性水頭症であった可能性を否定することはできない。しかし、他方、証拠(甲五、七、二四、三〇)によれば、結核性髄膜炎の場合、炎症が脳室に波及して脳室炎等が発生したときには脳室壁の癒着や脳室内隔壁、第四脳室出口部の閉塞をきたし、脳室内の通過障害を起こして非交通性水頭症となりうるが、同年二月一五日に亡友紀が全身けいれんを起こした上、亡友紀の前頭葉からも結核菌が検出されていること(前記一6、9)から、結核性髄膜炎が髄膜脳炎まで進行し脳実質に炎症が広がっていたことが認められる。そして、非交通性水頭症の場合、脳室が急速に拡大する(証人灰田宗孝)ところ、前記一4、6認定のとおり、亡友紀の側脳室、第三脳室、第四脳室が同年二月六日の時点では正常の大きさであったのにその九日後にすぎない同年二月一五日の時点では顕著に拡大しているから、亡友紀の水頭症は交通性水頭症である蓋然性よりも非交通性水頭症であった蓋然性の方が高かったということができる。
(二) 原告らは、平成七年二月一六日午後零時の時点で、亡友紀に対する治療としては、腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを施行してはならない義務があるのにこれを行った過失がある旨主張し、証人灰田宗孝も右主張に沿う供述をする。
前示のとおり、結核性髄膜炎の場合、炎症がくも膜下腔に広がって癒着をきたし、くも膜下腔、脳底槽の閉塞、くも膜顆粒での髄液交通路の閉塞等の脳室外の通過障害を起こして交通性水頭症となることがある一方、炎症が脳室に波及して脳室炎等が発生したときには脳室壁の癒着や脳室内隔壁、第四脳室出口部の閉塞をきたし、脳室内の通過障害を起こして非交通性水頭症にもなりうる。そして、同年二月一五日に亡友紀が全身けいれんを起こしたことから結核性髄膜炎が髄膜脳炎まで進行し、脳実質に炎症が広がっていたことが推認できる以上、医師である被告としては、亡友紀が交通性水頭症にも非交通性水頭症にもなりうると判断できるはずである。そして、非交通性水頭症の場合、脳室が急速に拡大するところ、亡友紀の側脳室、第三脳室、第四脳室が同年二月六日の時点では正常の大きさであったのにその九日後にすぎない同年二月一五日の時点では顕著に拡大していることは頭部CT写真(甲一五)により被告は認識していた。したがって、被告においては、同年二月一六日午後零時の時点で、亡友紀の頭蓋内圧の亢進は非交通性水頭症が原因である可能性があると診断するべきであったと認めるのが相当である。長野展久作成の意見書(乙一七、一八)には、結核菌の検出場所、髄液圧の亢進、同年二月一七日以前の容態の悪化傾向、髄液の排出量が産生量より少ないことなどから亡友紀の頭蓋内圧亢進が交通性水頭症のためであった可能性が高い旨の内容の記載があるが、右記述から直ちに非交通性水頭症であった可能性がないとまで断定することはできない。
そして、仮に亡友紀が非交通性水頭症であるとすると、証拠(甲一四、二〇、二九、三〇、乙一六、一七、証人灰田宗孝)によれば、腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを行えば後頭蓋窩の圧が急に下降し、大後頭孔ヘルニア等を起こすといった結果が生じるおそれがあり、仮に大後頭孔ヘルニアが生じてこれが進行した場合には脳の損傷が不可逆的となっているため、救命は困難な上、たとえ救命できても神経脱落症状を遺すことになり、右結果が極めて重大なものであることに照らし、亡友紀に対する腰椎穿刺による髄液持続ドレナージがその生命に対する高度の危険を伴う治療方法であることは明らかである。したがって、被告は、このような高度な危険性を有する治療方法を選択するに当たり、右治療法の危険性を考慮して、他に右治療方法の危険性よりも低い危険性を伴う治療方法を選択できるかを判断し、他の治療方法がない場合に限り腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを選択するべきである。
この点に関し、被告は、乙一〇において、臨床の医療の現場では、刻々と変化する病態に応じて、慎重に診断し、その時点その時点で採りうるベストの治療を実施するべきである旨記載し、被告本人尋問(第二回)においても、髄液排除の他の治療方法である脳室ドレナージと腰椎穿刺による髄液持続ドレナージのうちギリギリの選択としてより危険性の小さい方法である腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを選択し実施した旨供述する。確かに、証拠(甲二〇、乙一〇、被告本人第二回)によれば、髄液排除の他の治療方法である脳室ドレナージは頭部皮膚及び頭蓋骨からの出血の他、脳表・脳実質内の血管損傷や感染などを併発するおそれなどの危険性があり、一般的に脳室ドレナージよりも腰椎穿刺による髄液持続ドレナージの方が人体に対する侵襲度が低く危険性の少ない治療方法である。そして、証拠(乙一〇、証人灰田宗孝、被告本人第二回)によれば、同年二月一六日の時点で亡友紀において髄液の排除をせずに放置しておけば髄液圧が高くなって意識障害が生じたり大後頭孔ヘルニアを起こしたりするため髄液を排除する必要があったことが認められる。しかし、右で指摘した脳室ドレナージの危険性は脳室ドレナージを行う場合の一般的危険性にとどまる。他方、仮に亡友紀が非交通性水頭症であるとすると、腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを行えば、大後頭孔ヘルニア等を起こすといった重大な結果が生じるおそれがある上、仮に腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを行うとしてもそれによる髄液の排出量はごく少量(二時間当たり数ミリリットル)であることを要する(証人灰田宗孝)のに、右基準(二時間当たり数ミリリットル)を大きく超える量(二時間四〇ミリリットル以内)の髄液を排出させようと判断した上、一日当たりの排出速度が従前の予定速度を大きく超えようとしているのに、前記一7認定のとおり、排出口の高さを同年二月一六日午後八時ころに四センチ、同日午前四時に二センチ高くしたほかに排出量を抑制していない。そうすると、右髄液持続ドレナージの実施の時点で非交通性水頭症である可能性を否定できなかった以上、被告が実際に行った一八時間で二〇〇ミリリットル以上の髄液を排出させるような態様の腰椎穿刺による髄液持続ドレナージの危険性は、髄液排出の他の治療方法である脳室ドレナージの危険性よりも明らかに高いものであったというべきである。
したがって、本件においては被告が行った態様の腰椎穿刺による髄液持続ドレナージよりも明らかに危険性の低い治療方法である脳室ドレナージを選択することが可能であったのであるから、被告は右判断を誤り脳室ドレナージよりも右髄液持続ドレナージの方が危険性が低いと判断して亡友紀に対する治療として前記態様の腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを選択している以上、同年二月一六日の時点で亡友紀に対する治療として被告には過失があったと認めるのが相当である。
2 以上によれば、被告は、亡友紀の水頭症が非交通性水頭症である可能性も否定できなかったにもかかわらず、安易に交通性水頭症であると断定し、非交通性水頭症であれば大後頭孔ヘルニアを惹起する危険性のある腰椎穿刺による髄液持続ドレナージを施行し、その結果、亡友紀に大後頭孔ヘルニアを惹起させて亡友紀に呼吸困難を生じさせ、結局、そのまま死亡させたことになるから、被告には、不法行為として亡友紀に死亡による損害を賠償する責任があるというべきである。
四 損害額
1 亡友紀の損害
(一) 逸失利益
前記一1認定のとおり、亡友紀は平成七年二月当時、立教大学に三年生として在籍する男子であり、現実の収入は認められないが、大学を卒業する翌年から六七歳になるまで四五年間稼働し、その収入は平成六年賃金センサスによれば年間金三二四万八〇〇〇円(二〇ないし二四歳の大卒男子労働者平均賃金)を下らないと推認でき、他方、亡友紀の家族構成(有職者の父、主婦の母がおり、未婚である。)を考慮するとその生活費控除は五割とするのが相当である。
したがって、亡友紀の逸失利益額は次の計算のとおり中間利息(新ホフマン年式)を控除すると金三六六七万円(ただし、一万円未満は切捨て)となる。
3,248,000×(1−0.5)×(23.5337475−0.9523810)=36,672,139
(二) 死亡慰謝料
亡友紀の年齢、家族構成、本件における過失の態様(いずれも何らかの危険性の伴う治療方法のうちの一つを選択することを迫られこれを誤ったといった過失態様であること等)、その他本件事実関係を総合的に考慮すると、被告の過失と相当因果関係のある損害として被告が負担すべきものとして亡友紀に対して生じた慰謝料額は金一八〇〇万円が相当である。
(三) 入院慰謝料
前記認定のとおり、被告に過失がなくても亡友紀は結核性髄膜炎の治療のため相当期間の入院をしなければならなかったのであるから、被告の過失と亡友紀の入院そのものとは相当因果関係があるものと認められず、死亡慰謝料の他に特別の入院慰謝料を認めるのは相当でない。
(四) 原告らが亡友紀の父母であることは当事者間に争いがないから、原告らはいずれも右(一)(二)の金員を二分の一ずつ(金二七三三万五〇〇〇円)相続したことになる。
2 原告ら固有の損害
(一) 葬儀費用
証拠(甲一七、原告泰子本人)によれば、原告らが亡友紀の葬儀を行い相当額の出捐をしたことが認められるものの、その具体的な出捐額については証拠がない。したがって、被告の過失と相当因果関係のある損害として被告が負担するべき葬儀費用としては社会通念に従い各金四〇万円とするのが相当である。
(二) 原告ら固有の慰謝料
原告らの固有の慰謝料については、被告の過失態様、亡友紀の慰謝料が前示のとおり金一八〇〇万円の限度で認められることに鑑みると、各金一〇〇万円の限度で認めるのが相当である。
3 弁護士費用
本件事案の内容からするならば、原告らが本訴遂行のために必要とした弁護士費用も被告の不法行為と相当因果関係のある損害として被告がこれを負担すべきものと認められ、その金額は合計金五〇〇万円(各金二五〇万円)と認めるのが相当である。
五 結語
以上の事実によれば、原告らの本訴請求は不法行為に基づく損害賠償金としてそれぞれ金三一二三万五〇〇〇円(合計金六二四七万円)及びこれに対する平成七年三月一日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。
(裁判長裁判官中野哲弘 裁判官板垣千里 裁判官田中寛明)